幸福と感謝が一対だということは、賛同される方も多いでしょう。
感謝なき幸福を考えてみたら、それが成り立つのか。
自分の望みがかなえられるだけ、楽しい雰囲気だけといった、状況だけの幸福感では、何かしら不足が感じられます。
どうしてそう感じるのかというと、自分だけの力で成しうるものは何もないからです。
人々の存在があって、何かを達成しようという気にもなれます。
たとえば、大きな壁や競争相手がいるとしても、それがあるから向上を目指せます。
何の障害もなく手に入るようなもの、達成できるようなものなら、大きな違成感を味わえません。
つまり壁や障害にも、感謝の種があります。
幸福感に持続性をもたらすのが、感謝の力です。
感謝なき幸福感は、おそらく享楽性です。
享楽は、一時的な気分の高揚をもたらします。
しかし、過ぎ去った後に空しさや寂しさが残ります。
その埋め合わせのためにまた享楽を求めて、何度もそれを繰り返します。
そのたびに、空虚に襲われます。
享楽性を幸福と思っている人は多いです。
もしそこに、感謝の入る余地があれば、享楽的雰囲気とは違った落ち着きのある幸福感がもたらされます。
いずれ享楽性に、価値を認めるのが難しくなるでしょう。
欲望を満たすことに幸せを探す時期を過ぎると、心の安定に幸福を見出す局面へと移行します。
たとえば、
称賛を浴びて生きてきた人に陰りが見えたとき、転換点に立つことになります。
称賛されることには魔性があり、これこそが最大の幸福だと勘違いして、その永続を願います。
実際は、幸福は自分の心の中にしかないのに、チヤホヤされることでしか幸せになれない。
苦い思いをして、やっとそのことに気づき、チャリティーや奉仕活動をはじめる人もいます。
意外なことに、人生は公平です。
幸せは、注目を浴び称賛されてる人や、お金持ちで、カッコいい人が味わうものだと思っている人が少なくありません。
欠乏感を持ってると、「隣の芝生は青く見える」ようになります。
そんな欠乏感じゃなくて、感謝のフィルターを使うこともできるのです。
感謝の幸福に対する貢献度は、他のいろんな感情と比べて突出しています。
感謝あるところには、どんな苦境も色を失います。
感謝あるところには、悲しみすら喜びに変えてしまいます。
感謝あるところには、苦痛を和らげます。
感謝あるところには、混濁した思考を静寂に導きます。
何事にも感謝の種を見出せる人には、苦悩などどこにも存在しないように映るわけです。
幸福と感謝の関係についてまとめてみると、
感謝があると幸福は永続性を持つようになる。
幸福を享楽性と勘違いすると、中毒症状から悪循環してしまうこと。
そこに感謝が入るようになると、追い求める享楽より、心の安定を選ぶようになること。
つまり感謝は、幸福を下支えするということです。
感謝多き先輩たちを見習って、あの柔和さを手に入れたいと願うものです。
その人がいるだけで場が和み、その存在だけで幸せな気持ちになれる。
鍛錬の賜物だと思います。
私たちも怠りない努力を重ねてまいりましょう。