潜在意識は上手に活用できてこそ、人生を豊かにできるものです。
「心と時間の連続性」の理解が潜在意識の手綱を握ると申し上げました。
自分の手(意志)で習慣を作り、第二の天性を可能にするということです。
豊かになりたいなら、豊かになる習慣が必要です。
心穏やかになりたいなら、穏やかな習慣が必要です。
成長したいならまた、成長する習慣。
そして幸福を得るためには、幸福な習慣があるものです。
習慣の座の上に人生はあります。
習慣を見れば、およその過去と未来は見えてきます。
もし人生を変えたいのなら、簡単ですが申し上げます。
「習慣を変えましょう」と。
その舵取りをしているのは、いつも心です。
心でしか習慣、そして人生を創ることはできません。
なぜなら、善し悪しを感じることができるのは、心だからです。
常識的な善悪は別として、善いと思えるから継続・習慣を生みます。
悪いと思うから、改める気持ちにもなります。
その結果幸福になっているなら、おそらく常識的にも社会的にも善であるはずです。
その継続が迷惑なものなら、悪のレッテルを貼られることになります。
善を追求することが、善を呼び込むことになります。
人はポジティブに、積極的に人生を生きたいと思います。
また、静かな穏やかな人生を望む人も多いことでしょう。
あるいは豊かな人生も人気です。
なぜでしょうか?
「それが善い」と、そう思えるからではないでしょうか。
善は多岐にわたりますが、人に喜ばれ、役に立つことのほうが賢明です。
たとえば、世間的評価があまり良くない人がいたとします。
悪事をはたらいたり、問題を起こしやすい人だとします。
そんな人が、ただおとなしく過ごしているだけで、評価が高まることがありますね。
「やっと改心したか」
「あいつもみどころがあるじゃないか」
などということを言われる。
しかし、元々おとなしい人の場合、
「おとなしすぎる」
「やりすぎくらいがちょうどいい」
などと、咤激励される始末。
同じ「おとなしい人」でありながら、違う評価が出てきます。
世間の目は曖昧ながらも、善を見る、求めることに敏感です。
野心が強い人が善を行うと、偽善と誤解されやすいですね。
そのとき世間の誤解を跳ね返す忍耐力が必要ですが、意外に反応してしまいます。
たぶん、やる気が萎えてしまうでしょう。
ならばどういう善が考えられるのか。
そう、陰徳を積むことに行き着きます。
知られることを怖れるくらいに善を積んでゆくのです。
重要な鍵は、自分も他人も居心地よくしてあげることです。
習慣作りの出発点を間違えなければ、独りよがりの習慣にならず、周囲の評価という風も吹いて、軌道に乗せやすくなります。