感謝息の作法が身につくと、目を開けていても心の絵を感じ取ることができるようになります。
これは意識に結論的イメージが固定化しているサインでもあります。
たとえば、長年見慣れているものや人は、意識して思い出そうとしなくても、感覚的に意識にのぼってきます。
家族や親しい人は思い出す努力などなくても、しっかりとした心の住人となっていますね。
同時にそのイメージに対する感情が湧いてきたりします。
濃さのあるイメージは目を閉じてイメージしなくても、存在を確認できます。
心眼が強くなってくると、目の前の「現実という映像」の背景を読み取る力が強くなります。
たとえば人の表情の変化や行動、所作でも、その心の動きや変化が敏感にわかるようになるのです。
これは特別な能力というものではありません。
人生経験も増えてくれば、人それぞれの傾向が理解できるのと同様のことです。
ただし、それぞれの目的意識が異なると、心眼の発揮のされ方も全然違ってきます。
たとえばベテラン捜査官は、自分に蓄積された犯罪の膨大なデータから、人間心理を読み取ろうとする傾向ができます。
教育者なら、社会適応性の観点から、生徒の心を導こうとする傾向ができますね。
つまり、人生の目的に応じた心眼が、しだいに形成されてゆくわけです。
そんな心眼の発達が、イメージを描くことによって促されます。
心の眼が映し出す映像は、本人の思考や感情とリンクしています。
どういうイメージを好むのか、嫌うのか。
それが意識的なのか、無意識に現れるのか。
意識的に望むイメージを描くことは、自分の在り方を表明するのと同じです。
その現実を体験する可能性が高くなります。
イメージが鮮明化するのは、その濃度が濃くなり、意識してイメージ化させる段階をとうに過ぎているのです。
そこまでになると、日常的にイメージを「感じる」ことができるようになります。
イメージに臨場感、現実感があります。
感謝息によるイメージの鮮明化が進むと、そのイメージが感謝の感情を導くようになります。
イメージを感じるのと同時に、感謝を感じられるようになるのです。
つまり、イメージがそのまま自分の体験と同様の効果をもたらします。