正念場という言葉があります。
由来は仏教で、八正道の「正念」からですね。
正しく念じる場ですから、タイミングとしてはとても大切なところです。
もともと歌舞伎や浄瑠璃で、主役の面白躍如たる場面のことですが、それが一般に広く使われるようになりました。
私たちが生きている中でも、この正念場は現れます。
ここぞとばかりに力を入れるポイントというのがあるはずですね。
ターニングポイント、転機と相前後していることが多いと思います。
受験、就職、結婚など、大きな決断を迫られるときは、グ~っと力が入ります。
その選択いかんで後の人生が大きく変わりすから、力も入ります。
しかし、迷うだけ迷ってなかなか選択できない人がいます。
絞り込むことができない人は、あっちもいいけどこっちもいい、どっちが苦労しないで済むのか、みたいなことで選びかねています。
また自分の選択を後悔するような人もいます。
それは、打算が判断基準になっているのです。
この道を選べば自分のためになる、という判断基準をなかなか持てない。
どうも損得勘定ばかりが先にあって、結果として何も結実してないことがあります。
選択の力を知っている人には、迷う人を見ていると、気の毒になることがあるのです。
彼らはどちらを選んでも正しかったかどうか疑い、少しの状況悪化でも判断ミスなどと勘違いしてしまい、さらに悪い状況を引き寄せる傾向があります。
マリッジブルーになる女性を見かけますね。
近年では男性にもマリッジブルーになる人が多くいるようです。
婚約式の日取りなどが決まってすら悩んでいます。
これでよかったのか、もっと幸せになれる人が他にいるかも・・などと考える。
結婚すればそれを境に新しい人間関係がはじまります。
どのような人と結婚しようと新局面に入ってゆくのです。
問題を回避しようとしても、自分が背負っている宿命的課題には必ず向き合うことになります。
この人と結婚すればどれだけ幸せになれるのか、どれだけ幸せにしてくれるのか、という考えは、ほとんどエゴです。
そういう考えのうちはあまり良い相手は現れません。
なぜなら、どう見ても貧乏神がくっついているのですから(笑)。
優れた容姿や条件に翻弄される人もいるでしょう。
ですがその基準で結婚すると、精神生活の苦しみは耐え難いものになるのです。
離婚が多い昨今、そういう考え方の男女が多いことは紛れもない事実です。
逆に、私の力はこの人にはこう役に立つ、あの人にはこう役立つという視点を持ってみましょう。
すると、いつも幸福の共有ができるようになり、調和ある人間関係になるでしょう。
やがて一緒にいて、自然に振舞える人がハッキリわかるようになります。
容姿などあまり関係ありませんね、結婚には。
相手から幸福をもらおうとする考えには、常に不満が生まれます。
相手の喜びが自分の喜びになる価値観があると、願ってもいないような幸福さえやってきます。
結婚にスポットをあてて、選択の判断基準を考察してみましたが、まさに正念場です。
その選択が自分のためになるとをしっかりと念じること。
利益があるから自分のためになるというだけでは不完全です。
そこに与える要素があるかないかの確認はしておきましよう。
そして、実はここが大事ですが、どんな選択にも、あなたのためにならない選択はないのです。
つねに、どんなときでも、完璧であると信じることで、自信が満ちてきます。
やがて、自分の選択の正確性、タイミングもピッタリ合致するのです。