人生の中で感謝をする機会がこれからさらに増えてゆくことは、つまり人生の幸福がさらに増してゆくということです。
だとしたら、経験量も増えてこその感謝であり、幸福でもあろうかと思います。
出会う人が宝物のような存在価値を持つようになるのも、その人が感謝の対象となるからではないでしょうか。
私たちは、ともすれば相手の出方を待って対応することが多いと思います。
またそのほうが安全であって、ストレスも少ないと考えがちです。
でも相手の出方というのは、他ならない自分を何らかの形で判断してから動いているわけです。
出方を待つ、と小利口ぶって構えていても、その態度が既に相手の認識にあり、それを基準に反応しているという現実が分からないと、不本意な展開が始まることになります。
たとえ見ず知らずの人でも、その人に何らかの感謝を伝えたいという気持ちがあれば、不思議とそのように相手が動いてくれるものです。
もし自分が人見知りな人だと思っているなら、その根底には自信のなさか、人への不信感があるはずです。
それが相手に伝わってしまい、思った通りの対応をされてきたのではないでしょうか。
あるいは自意識が過剰だと、かなり冷淡な態度を示すこともあるはずです。
自分が特別な存在だなどという自惚れた気持ちは、人を見下す人間性になってしまいます。
それが不利な立場に自分を置いていることに、気づけない悲しさがあるのです。
自分が感謝したいように、人も感謝をしたいのだということを念頭に置くと、行動原理もまるで変わってきます。
人の感謝を引き出す行いと、どういうポイントに喜びや感謝を表すのかを知れば、たいていの人間関係は円滑になります。
また、人の役に立てる喜びにしても、全く同じことが言えるのです。
どうしてこういう話をするのかというと、私たちがふだん持っている人へのイメージがかなり固定化されている、ということです。
自分にとって感謝ができる人とそうでない人がいたりします。
向こうが自分のために何かよいことをしてくれるか、機転の利くことをしてくれるか、そういう望みを叶えてくれる人にしか感謝の気持ちは湧かないようになっていないでしょうか。
もしそうならば、人生の喜びや幸福感は、本来の半分以下のものになります。
私たちは、自分自身について実感していること、そのものなのです。
それは偽りなき実感です。
喜びの多い人間であると信じ、実感できるならば、そういう人生が展開するしかありません。
悩みに明け暮れているならば、その苦悩の実感が人生に反映し展開してゆきます。
人に対して思う印象にしても、それは自分の実感です。
この人がこういう人だという実感は、実は自分自身の実感として潜在意識には記憶されてゆくのです。
人へのイメージがよくなるということは、それだけ自己イメージをも向上させているということなのです。