感謝呼吸.comで、「無感覚の体験」という記事をアップしました。
私たちが体感している現実というのは、必ず意識にフィードバックされて、体験として記録されてゆきます。
その体験を元に、次の判断材料を得ていたり、あるいは誰かの知的な資料として蓄積されていたりするのです。
無感覚の体験をしてみると、そこには自分の意識のみがあることが明確になります。
これは瞑想などをしているときに到達しやすい感覚です。
できるだけ緊張を解きリラックスする。鼓動に合わせて呼吸をする。周囲の波動を感じとり、波長を合わせてゆく。そういった段階的なプロセスでわりと簡単に到達します。
意識のみで、ただあるがままに存在する。
そうすると、やがて気がつくことがあります。
私たちの持つ肉体、身体というのは、意識を体現する媒体になっている、ということですね。
たとえば、気持ちがいい、爽快だ!みたいないい気分でいると、体はそれを即座に現実化させてくれます。逆に悪い気分でいると、じわじわと体調がすぐれなくなってくる。
ここで言いたいことは、体は体験するための媒体であり、自分がなにを体験するかは、自分で決められる、ということです。
外部の状態に飲み込まれてしまうと、体験したくない、あるいは予測できない、いずれにしても好ましくない体験を呼びこむことになるでしょう。なぜなら、意識(自分)が体験したいことを明確にしていないからです。
この意図がとても大切で、それに沿う現実が現れはじめると、幸福感が増してきます。
ふだんから自分にとって好ましくない情報(文字、音声、映像、画像を問わず)を集めていると、それが自分の周辺に現実味を持ちはじめてくるようになります。
用心するために集めている情報が縁で、自分の周辺を緊迫させてしまうという皮肉な事態を生んでいるのです。
ですので、
自分にとって好ましい情報を常に集めるようにしていると、そういう現実を追い追い体験してゆく可能性が高まるばかりか、感謝や幸福感に包まれる頻度も高くなるはずです。
一度自分の情報集めの傾向なり癖をおさらいしてみましょう。