クーエの「努力逆転の法則」を取り上げてみます。
この問題は多くの人がつまずいている現実があり、外すせない内容です。
努力が報われない、一生懸命にやっているのに実績がともなわない。
そんな現実に光明を差すことになるでしょう。
同じことをしているのに、結果に大きな開きがある現実をどう解釈すればいいのか。
たとえば、Aさん、Bさんという営業マンがいたとします。
同じ件数の見込客にアプローチしたのに、商談が成立したのはAさんのほうがはるかに多いという結果になりました。
Bさんはこれではいけないと思い、意気込んでさらに多くの客に会うことにしました。
しかしさらにAさんは少ない件数で実績を上げ、Bさんは実がともなわない。
Bさんは必死でやっているのに、Aさんに追いつくことすらできません。
こんなことが現実に企業活動の中では頻繁に見受けられます。
これに直面して狼狽する人も後を絶ちません。
自信喪失し去ってゆく人も多くいるのではないでしようか。
人間関係にしてもそうです。
すぐ良好な人間関係を作れる人もいれば、人見知りして尻込みする人もいます。
この人とは友達になりたいと思われるけれど、あの人とはあまり付き合いたくはないな、と敬遠されたりする。
本人はあまり意識してないかもしれませんが、実は無意識に成果を望まない、という裏腹な意識が働いています。
望まぬというよりは、失敗するネガティブなイメージが強すぎます。
昨日の例で言えば、本当は地面に置いてある板の上を歩いていながら、10メートルか20メートルの高さの上を歩いていると錯覚しているのです。
逆に、綱渡りの名人が、落下する恐怖にとりつかれたら命取りとなります。
トレーニングの本当の必要性は、このギャップを埋めるために費やされるべきなのです。
同等の基礎力を持っているなら、どれだけ地に着いた歩みができるか。
それが勝負を分けます。
優秀な指導者は、基礎の指導と同じくらい意識の高低差を縮める観察をしています。
並行させて指導しているものです。
たとえば野球選手が練習をしているときにも、どれだけ実戦を想定してトレーニングするかが成否を分けます。
臨場感、一球の重み、勝利の嬉しさ、敗北の悔しさ、観客の声、自分への声援などをイメージさせてみる。
そうすると、練習に向かう姿勢も自ずと変わってきます。
どんな職業訓練にしても同様です。
つまり、努力することとは、在り方を変えることにほかなりません。
これだけやってるから報われるに違いない、という感覚は自己満足にはなります。
しかし実績につながるかどうかは保証されません。
実績を出す人は、結果が出る前から結果を手にした感覚を持っています。
この在り方の違いに早く気づくことで、努力逆転の苦しさを駆逐できるのです。