せわしない毎日なのは情報社会のせい?
心が安らぐとき・・今の時代、なんとも貴重な時間のような気がします。
そもそも、なんでこんなに心が忙しく回っているのでしょう。
安らぐヒマもなく、せわしなく、アクセクとしているのでしょう?
情報時代のせいでしょうか?
いえ、おそらくそうではありません。
心の暴走に気づいてもいないのが本当のところでしょう。
情報は、それをどう受け止めて、どう対処するかが問われます。
今では、日本中、世界中から飛び込んでくる色んな情報をほぼタイムリーに得られます。
自分に関係ないことでさえ、まるで当事者になったがごとく関心をもつことさえできます。
まあ、送る側がそういう意図をして発信しているものだとは思われますが・・・
しかし、あまりにも情報過多になって、混乱し疲弊しているのはおかしいですね。
現実的には、自分がどう取捨選択するかにかかっています。
「自分の中に入れるものとしての情報」、そういう観点から言えば、情報は栄養にもなるし、良薬にもなります。
しかし、害毒になってしまう危険性を含んでいます。
なので、一度完全に遮断してみるのも良いことかもしれません。
たとえば、一日完全にネットやテレビなどと距離を置いてみる。
それだけでどれだけ自分が情報に翻弄され、疲労していたかがわかります。
そういう体験をしてみたら、情報との接し方もいくらか変わってくるでしょう。
自分の中に入れるもの
私たちが体内に入れているものは、飲食物だけじゃありませんね。
空気もそうですし、五感から得られる様々な情報もそうです。
それらが統合されて、一人の人としての個性が成り立っています。
飲食にかけるようなこだわりは、その他の流入物にはないかもしれません。
たとえば、呼吸するという生命活動に対して、もっと強いこだわりがあってもいいはずなんです。
生命の素である酸素をくまなく全細胞に届ける、という意識をどれだけの人が持っているでしょう。
血流をよくするために適切な水分補給をすることも重要です。
これに関して、医学界からのアプローチがきわめて薄いわけです。
実際彼らにそれを期待するのは、難しいことなのかもしれません。
おそらく極端にお客さん(患者)が減少する流れになることが予想されるからです。
病院経営もビジネスですからねえ、いまの社会システムでは。
それはどうでもいいとして、
個人の心がけとして、少しずつ広まってゆけば、ワケも分からず病気になってゆく人が少なくなるでしょう。
情報をどう受け入れるのか?
体内に入れるものとしての情報ですが、ではどうそれを受け入れたらいいのか?
私たちの体内に備わったセンサーとして、感情があります。
見聞きする情報を受けて、感情的に反応するもの、これには十分気をつけたいところです。
どうでもいいような情報には、感情は刺激を受けませんが、自分にとってなんらかのメリット・デメリットがあるものは、敏感に反応します。
たとえば、「これをやれば健康になる」など、テレビ番組でよくあるものですが、健康不安がある人をクギヅケにするようなものがあります。
これに過剰反応してしまうと、見境なくなんでも買ってしまうことになります。
落ち着いて考えれば(手に入れてみれば)、なんでこんなものが必要だったのか、ワケがわからない・・なんてことにもなりかねませんね。
あるいは、メディアから流れてくる様々なニュースやゴシップも、気をつけておかないとあなたの心のネガティブ性を顕在化させます。
聴視者のコントロールを目的にしたものであふれていますから。
ですので、感情的な反応だと感じ取れたら、少し立ち止まり、意識に軸足を移してください。
そうすることで、客観的な情報選択も可能になるのです。