感謝呼吸実践会も今年で30年の節目を迎えました。
呼吸によって、感謝の感情を保ちやすくなるという発見は、私たちの生活に革新的な変化をもたらしました。
起伏の激しい感情に、人間らしさや人生の意味を見出している方には、なかなか安定的な感情に魅力を感じないかもしれませんね。
しかし、苦悩の中をはいずり回るのも、その起伏のある感情がもたらしていることは見逃せません。
ありがたい、という気持ちや感情があなたの中に発現されるためには、それなりのプロセスがあります。
いつもいつも感謝を感じて生きるのは、そう難しいことでもないんです。
しかし、感謝しなければならない、感謝して生きていたいといった、義務や必要性として感謝をとらえていると、本来楽しいはずの感謝の姿が、苦行になってしまいます。
私たちは、肉体が人間の幸福のために補助してくれていることを今更ながらに実感しています。
使い方次第でどれだけ今の自分を幸せにしてくれるか、ほんとうにありがたい限りです。
自分の意識の媒体である肉体が喜べば、自ずと思考も喜びに満ちたものになるでしょう。
このように心身の循環の輪が結ばれれば、あなたに不幸の影が忍び寄ることさえできなくなるでしょう。
ささいなキッカケが、その気づきをもたらすこともあります。
たとえば、何もかも手をつくして八方ふさがりになったときに、開き直るようなことがあると思うんですが、こういうときにやっと思考の影響から解放されます。
すると、まったく違った意識のフィルターに透過された思考が現れてきたりするのです。
そんな経験を繰り返していると、思考するプロセスが変わることになります。
「悩んでもしかたがない」という言葉の背後にそういった遍歴があると、いとも簡単に問題を解決しているように見えるわけです。
よく人が変わったようだと言われる現象は、別の意識を経た思考の人格になった姿ですね。
体を健康に保つ目的は、実は思考の健全性を保つということが最大の理由です。
「病気になってはじめて健康の大事さがわかる」とはよく言われることですが、病気というのは結晶化した意識へのサインです。
病気を治そうとする前に、健康な思考が現れる土壌(意識)でないと、治療は思うようにはかどりません。
人生のどの時点、どの瞬間であっても、私たち人間は幸福でいられます、その意志さえあれば。
病人であろうと、老人であろうと、男性であろうと女性であろうと、それは関係なく可能ですからね。
思考の健全性と言っても、人それぞれ心地よさを感じる基準は違いがあります。
今のあなたにとって、何があなたの感情を高揚させたり、何が幸福感をもたらすでしょう。
その対象によって、結果は違ってきます。
もし、他人の不幸を喜ぶことが幸福感につながっているとしたら、当然その不幸をあなたは体験することになります。
言葉でどのようにつくろっても、本心がそうじゃないとしたら、その本心があなたの意識の土壌なので、目に見えない思考は必ず本心を反映します。
他人の不幸→自分の喜び→自分の不幸→他人への嫉妬→他人の不幸・・・
どのように循環しても、自分の幸福感が保たれる状態、それが幸福な生き方と言えるでしょう。