私たちが思い描く想像は、本当の意味では体験をあらわしています。
それは、今のあなたが認識できる過去の体験か、まだ肉体では遭遇していない未来の体験か、そのいずれかです。
現実には、私たちは時間があるという幻想体験の中にあり、過去や未来を区別しています。
このイメージは過去にあったこと、この想像はまだ起きていないこと、というふうに無意識に区別しています。
しかし、真実の自己は、時間を区別できず、想像というツールであちこちに行き来しています。
そして、どんな想像も意識にとっては現実です。
自分の脳で物理世界に引き戻されるまでは、意識にとってはそれが現実でしかありません。
肉体という重石があるため、その自由性になかなか気づけません。
しかし、意識は肉体の影響を受けず、どんなところにでも行き来しています。
脳に支配された私たちの思考では、意識の自由性に全く気づかないでいます。
ふつう、意識は「あるかないか」で判断されますね。
意識があるから生きている、という生存の確認のためにしか使われてないかもしれません。
そこから少し進んで、さまざまな思考活動をしているから意識が働いてる、と確認する。
さらに進んで、想像の眼が自分の意識だとわかるようになる。
そこに過去や未来という判断を加えず、意識の赴くままに任せる。
すると自分の意識は、かなり自由に動いていることがわかります。
本当の自分はこれほど自由自在なんだ、ってことが実感できるようになります。
その想像に物理的な比重が重なってくると、現実味を感じるようになります。
これを難なくやってのけているのが、小さな子供たちです。
彼らは、理性の外側にいる存在です。
思考してあれこれ考えず、なりたいまま、在りたいままに存在します。
いま私たちは、子供のころのような自由を取り戻す時代に生きているのです。