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釈迦の呼吸法~大安般守意経(アナパーナサチ)から読み解くバランスの極意

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釈迦の呼吸法~大安般守意経(アナパーナサチ)から読み解くバランスの極意

釈迦が説いたと言われる、呼吸法についての経典があります。

「大安般守意経(だいあんぱんしゅいきょう)」、

サンスクリット語では「アナパーナサチ」と呼ばれます。

 

つまり、釈迦が実践していたであろう呼吸法の解説ということですね。

その一部をご紹介いたしましょう。

世尊は祇園精舎で、あるときこう言われた。

「弟子達よ、入る息、出る息について、心を込めたものにしなさい。

そうするなら、身体は疲れず、眼も病まず、観るままに楽しんで住み、あだとなる楽しみに染まらぬ心で生活できよう。

このように、入る息出る息について習得してゆくなら、大きな結果と福利を得るであろう。

そして、深い禅定に進み、慈悲の心を得て、迷いを断ち切り、さとりに至るであろう」

と。

(雑阿言経第二十九第十経より)

 

釈尊は、この地上で最高レベルのバランスに到達した人物です。

 

その状態は、心身魂(しんしんこん)の統合がなされ、

超絶意識のまま、人生を歩み終えました。

いまから2500年前のインドの出来事です。

 

釈尊が悟りを開いてから入滅するまでは45年あります。

この間、当然ながら人間としての命を全うする必要がありました。

 

釈尊が最初に考えたのは、肉体の循環を司る呼吸を安定化して、

環境に馴染ませることでした。

それによって、肉体の内外のバランスを取っていたのです。

 

彼の意識は究極のバランス状態でしたので、

宇宙の意識と同通していました。

※ちなみに、これはだれでもできることですからね。
釈迦もイエスも、マスターたちはそこを強調していますし、またそれが真実です。

 

修行時代の意識状態では苦しみしか創造されないことを悟ったので、

それはもう捨て去りました。

また、修行に入る前の享楽の状態でも、本当の幸福な意識にはなれない。

 

彼が見出したのは、ほどよい真ん中の道でした。

緊張しているのでもない、弛んでいるのでもない。

完全なバランスが取れた状態を中道と呼んだのです。

 

彼は、心(精神)と身体のバランスを取ることが最重要だと知っていました。

それを可能にするのが、呼吸であることも知っていたのです。

 

そのため、完全な中道に至るために、

呼吸の試行錯誤が繰り返されたのです。

やがて彼は、自分自身の呼吸があることに気づきます。

 

当然ながら、自分自身と他人とでは、呼吸の動きに差異が現われます。

だから、自分の内側の存在原理に従うのです(天上天下唯我独尊はここに起因)。

 

彼は呼吸とともにいることが、

とても楽しく、快適になっていたのです。

ひとつひとつの呼吸に強烈な喜びが感じられるまでに至ります。

 

やがて、ある涼やかな夜に、

究極のバランス状態・完璧な呼吸状態に到達しました。

 

その呼吸状態に到達したとき、

自分の心身と魂が合一する瞬間に至ります。

いわゆる悟りの瞬間です。

 

このとき釈尊は、自分が何者で、どこから来てどこへ行くのか、一瞬のうちに理解しました。

完全なバランスの中では、時間も空間も存在しないからです。

 

自分の肉体と精神のバランスを図る中で、人生の大きな指針を見出します。

人生のプロセス(生老病死=四諦)と、

その解決に至る方法(八正道)を人々に解き明かしてゆきました。

 

インド地方の聖人は、その当時でも多数存在しましたが、

釈迦の教えが突出していたのは、

やはり釈迦自身の放つ愛の大きさに由来しています。

 

 

 

感謝呼吸をこの経典に照らすなら、

心を込めた呼吸であるという点は符号します。

特に感謝息は、釈尊の呼吸にごく近い性質を持つと推察します。

 

実践結果についても、さまざまな成果を残しています。

心の安定についても、実践以前とは比較になりません。

 

釈迦のような深い悟りや、慈悲の心が得られているかと言えば、

まだまだ未熟かも知れませんが、確実に心と肉体との調和が進んでいます。

 

私たちが大事だと感じている点は、

「あだとなる楽しみに染まらぬ生活」

ということです。

 

これは享楽の戒めだと思います。

 

理性を崩した快楽的な生活や享楽的楽しみには、呼吸の安定はありません。

しかし心を込めた呼吸実践は、健康を生み、

環境に即した楽しさを保持できると、釈迦は伝えています。

 

確かに呼吸の安定が継続されると、それ自体に幸福感を持つことができます。

その状態を妨げるような嗜好に手を出そうとは思いません。

たとえば、飲酒や喫煙等の習慣からも離れてゆけるのです。

 

飲酒というのは、ほどほどなら体の滋養になると言われます。

しかし正直言って、その確証は持てません。

なぜなら、実銭者の多くは、飲酒を嫌うようになります。

 

呼吸が安定してくると、アルコールは半分毒のようなものと感じてくるのです。

いかに意識的に呼吸を整えても、アルコールによる感覚の麻痺はいかんともしがたいのです。

安定した呼吸による心の豊かさを奪われるような気持ちになります。

 

もちろん、飲酒を禁じているのではありません。

結果的にそのようになるということは、予備知識として持っていた方がよいでしょう。

いずれにしても、体験してみればよくわかることです。

 

呼吸が進化すると、さまざまな恩恵を得ることを知っています。

意識して呼吸をコントロールすることで、乱れた心も調和に導くことができます。

その喜びや安心感を知ると、外にある楽しみに依存する必要もなくなります。

 

今、いながらにしての至福を知ることが、人間にはできるのです。

今にあることの意味が、呼吸の安定を体感しながら実感できます。

 

今日は釈迦の呼吸観について触れてみました。

釈迦の洞察は、こういうところからも垣間見ることができます。

人類は本当に優れた先達を持っていることに感謝したいと思います。

 

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