ありがたいなあ、の口癖は驚くべき性質を持っています。
この言葉をつねづね発していると、人の見方が変わってきます。
まず世間の多くの人は、感謝の力を知っているようで知りません。
ですから、そのような人を見つけると感動をもって注目するものです。
さらにそういう人を選り分けて、善いことを持ち運んでゆくようになります。
やってみれば、おそらくすぐに実感できるはずです。
逆に、「ありがたいなあ」と言っている人を見つけたとしたらどうでしょうか?
その人を感心して見つめるのではありませんか?
なぜか、その人のために何かしてやりたくなる気持ちになったりします。
もし何かあったとしたら、すぐにその人のために動きやすくなっています。
客観的にはそうなのです。
しかし、くれぐれも利益誘導が目的にならないように注意してください。
ありがたさの実感がただ言葉になっているだけ、それだけでよいのです。
感謝の心、感謝の言葉が多い人には「与えやすい」環境が出来上がります。
しかしそれだけでは片手落ちです。
つまり、いただいたならお返しすることです。
それは、心からの感謝の言葉でもよいですし、心ばかりの贈り物でもよいでしょう。
それができないなら、心から感謝を念じることでもかまいません。
それがないと循環性は完成しないのです。
ありがたい、という言葉はそういう意味で、運(循環)に恵まれることです。
ツキを呼びます。
ある男性は、どうしても親に対して素直になれず、感謝の言葉を言いたいのに言えずにいました。
そういう場合、切り口を変えてみるのです。
直にありがとうと言うのが恥ずかしいなら、普段の会話の中で、「よく考えてみれば、ありがたい話だね」というような会話から入ってゆけばよいのです。
こういう会話が多くなると、あの人は感謝の心のある人だ、ということをわきまえてくれるようになります。
感謝の雰囲気があるほど、言葉としても出しやすくなります。
ちなみにこの男性は、そういった感謝の雰囲気作りからはじめました。
すると、親のほうもその雰囲気に引き込まれ、彼を見直すようになっていたのです。
ふつうの会話の中でも、ありがとうが出る機会は増えていくものです。