自分には与えものがない、と思ってる人は、お金持ちにさえかなり多くいると思います。
感謝の実感が強い人は、たとえお金がなくても、とても与えたがる傾向にあると言えます。
その性質、資質、あるいは性格自体が自分の経済的な安全装置だということを知っている人も多いはずです。
不幸なお金持ちが存在するのは、おそらくお金の循環構造に無関心で、物理的な機能しか信じてないからです。
だから溜め込むことにのみ安心して、少しでも減ることが怖くなる。
自分には与えるものがない、と思っている人は、おそらく物的なモノやお金、あるいは時間などの資源が自分にないと信じ込んでいるだけでしょうね。
どんな人でも、それなりの経験はあるはずですし、それを人に提供することはできるのです。
あるいは、人がしてほしいと思っていることをしてあげることだって可能です。
そして、そんなものさえも暗所にひた隠そうとする。
たしかにこれじゃ、与えるものは何もないというのもうなずける話です。
もっと自由でオープンになれば、与えるものはいくらでもあることに気づけます。
それに気づいた精神には、皮肉なことに(お金を含む)資源が流れ込んでくる仕組みになっているのです。
最上のものが欲しいなら、今のあなたにとって最上のものを惜しみなく分け与えることです。
ただし、欲しいから与えるというギブアンドテイクは禁物です。
ごく自然に、今の自分が持つ最上のギフトを受け取ってもらえばいいだけです。
与えたことは、もうその場限りで忘れてください。
すると与える機会、チャンスは向こうからやってきます。
与えるものは笑顔でも、元気でも、気の利いた冗談でもいいのです。
それが次第に、あなたにしか贈れない特別なものへと進化したら、あなたには経済的な自由の中にいることに気づくはずです。
そして感謝は、この宇宙の中でも与える価値のあるものの最上位にあるのです。
感謝する人の元には、感謝する出来事が還流して行きます。
宇宙の循環構造のなかに身を置くと、取り戻そうとする、得ようとするより、与える、提供するという行為の方にシフトします。
なぜなら、それが結果として数倍、数十倍の恩恵として帰ってくることを知っているからです。
それを知らない人は、結果を期待します。
与えているのに帰ってこないと心配したり、疑いを持ちはじめます。
この精神作用が、実は自己の観念としてドッシリしている間は、何にも得られることはありません。
だから与えたことはサッサと忘れ、次の与える機会を探ればいいのです。
機会が与えられたら即実行です。
このプロセスの中に入ると、ホントに心は自由を満喫できます。
これは今からでもできる、誰でもできる、豊かさへのアプローチです。