深呼吸では足りない理由〜“深く吸う”のではなく、“ひらいて通す”感覚へ〜
「よし、リラックスしよう」
そう思って、深く吸ってみたけれど——
なんだか苦しい。かえって息がつまる。
そんな経験、ありませんか?
実は、「深呼吸すれば落ち着く」というのは、必ずしも正解ではないのです。
呼吸が浅いときに、いきなり大きく吸おうとすると、
かえって息苦しさや緊張感が増すことがあります。
大切なのは、「深く吸うこと」ではなく、
呼吸が“自然に通っていく状態”を取り戻すこと。
今回は、なぜ深呼吸では足りないのか?
そして、本当に“ひらいた呼吸”とはどんな感覚なのか?
やさしくほどいていきましょう。
「深呼吸がしんどい」という矛盾
「気持ちを落ち着けたい」
「今こそリラックスしたい」
そう思って、胸いっぱいに吸おうとしたのに、
なぜかうまくいかない。
苦しくなったり、かえって不安になったり。
そんなとき、問題は“吸い方”にあるのではなく、
そもそも呼吸が通る準備ができていないということかもしれません。
「深呼吸=正しい」と思い込んでいないか?
呼吸法やリラクゼーションというと、多くの人がまず「深呼吸」を思い浮かべます。
でも本来、呼吸というのは、
- 息を無理にコントロールするものではなく
- 身体が自然に“ひらいたとき”に深まっていくもの
なのです。
つまり、呼吸は「する」ものではなく、「起こる」もの。
呼吸が苦しいときほど、「深く吸う」より先に、
“通る道”を整えることが大切になります。
吸う前に、ひらく
ひらく息体操が目指しているのは、
「しっかり吸えるようになる」ことではありません。
むしろ、
- 足元に意識をおろし
- 揺らしてこわばりをほどき
- 胸をひらいて呼吸の道をつくり
- そのあとに「自然と吸いたくなる呼吸」がやってくる
という、体から呼吸がひらくプロセスです。
深呼吸では届かなかった場所に、
いつの間にか、やさしい息が届いている——
それが、ひらく呼吸の“満たされる感覚”なのです。
「足りなかった」のは酸素ではなく、“ゆるむ余白”
深呼吸でうまくいかなかったのは、
酸素が足りなかったからではありません。
足りなかったのは、ゆるむ余白と、その息が通る場所。
呼吸を変えるには、呼吸そのものにアプローチするより、
先に体をゆるめて、心をゆるめて、
「息が自然に入ってくる状態」を取り戻す方が、ずっとやさしいのです。
無理にがんばって吸わなくていい。
あなたの呼吸は、ひらかれる準備が整えば、勝手に深まりはじめます。
コラム|吸おうとするから吸えない──“受け取る呼吸”という感覚
「もっと吸いたいのに、うまく吸えない」
そんなふうに感じるとき、
呼吸はどんどん苦しく、固くなってしまいます。
でも不思議なことに、
海の前に立ったとき
森のなかを歩いているとき
澄んだ空に見とれているとき
私たちは、何も意識せずとも“深く息を吸っている”ことに気づきます。
なぜ、大自然の中では呼吸がひらくのでしょうか?
それは、自然が「なにかをしよう」としない存在だからです。
空も風も木も、私たちに語りかけるわけではなく、ただそこにある。
その“ゆるぎなさ”や“無条件の存在感”が、わたしたちの防御をゆるめるのです。
心がほどけ、からだの緊張がゆるみ、
いつの間にか「もっと吸いたい」なんて思わなくても、
自然と呼吸が深まっていく。
呼吸は、“するもの”ではなく、“受け取るもの”
無理に取り込もうとすると、かえって苦しくなり、
ただ身をゆだねるときにだけ、呼吸は向こうから入ってきてくれる。
それはまるで、
「私はここにいていい」と、身体が思い出してくれるような感覚です。
あなたの呼吸がひらかないのは、足りないからではなく、
がんばりすぎていたからかもしれません。
吸おうとするよりも、
“自然に満ちていく”瞬間を許してあげること。
それが、本当に深い呼吸への入口なのです。