「時間は本当に“ある”のか?」~レッスンはここから始まる
「いつも時間に追われている」
「1日が終わるのが早すぎる」
でもその一方で、退屈な時間は長く感じたりもする──。
実はわたしたちは、「時間」というものを
本当に理解しないまま、生きてきたのかもしれません。
この「時のレッスン」では、
呼吸を通じて、“今”という瞬間ともう一度つながりながら、
「時間とは何なのか?」を根本から見つめ直していきます。
そしてその先にあるのは──
時間に追われない、時間に満たされる生き方。
そんな生き方が、呼吸ひとつから始められるとしたら……?
“時間がある”という思い込みの中で
「もっと時間があれば」
「なんでこんなに1日が早いの?」
──多くの人が、そう感じながら毎日を過ごしています。
でもふとした瞬間、こう思うことはありませんか?
「同じ1時間なのに、あの時は長く感じた」
「今日は気づいたら夜だった」
これはなぜなのでしょう?
時間は、どこかに“存在しているもの”なのでしょうか?
それとも、わたしたちが“そう感じているだけ”なのでしょうか?
「過去」と「未来」は、“今”の頭の中にある
冷静に考えてみてください。
- 過去は、すでに終わっています。そこにあるのは記憶だけ。
- 未来は、まだ起きていません。そこにあるのは予測・期待・不安だけ。
つまり
私たちは、存在していないものに支配されているのです。
その結果、
「いまここ」にある自分の呼吸や感情にさえ気づかず、
ただ“時間に間に合わせる”ために動き続けている。
呼吸で「時間の檻」から出てみよう
ここでひとつ、簡単なワークをしてみましょう。
- 静かに目を閉じて、今の呼吸をただ感じてみる
- 「息を吸っている」「吐いている」と心の中で実況中継
- 時計は見ない。カウントもしない
- たった1分間、「今」の呼吸に意識を向け続けてみてください
終わったとき──
ほんのわずかでも、“時間の枠”から自由になった感覚があるかもしれません。
「時間に合わせる」から、「今を生きる」へ
時計は大事です。
でも、本当の意味で“今を生きる”には、時計では測れない感覚が必要です。
その感覚は、呼吸とともに育っていきます。
あなたは「時間」に合わせて生きる人ですか?
それとも、「いま」を感じながら生きる人ですか?
──この問いに、
呼吸を通じてあなた自身の答えを見つけてください。
🕰 コラム:「時間」はいつ生まれた?──人間が発明した“目安”としての時間
わたしたちが日々使っている「時間」というもの──
それは自然界に元から“ある”ものではありません。
太陽の昇り降りや、月の満ち欠け、季節の巡りといった自然現象を
人間が観察し、秩序を与えるために“時間”という概念を発明したのです。
◎ 時間は“ツール”だった
- 「日が昇ってから沈むまでを1日と呼ぼう」
- 「1日を24の区切りに分けよう」
- 「同じ季節に作物が実るから、1年を定めよう」
こうして作られた時間は、便利な目安として社会を整えるのに役立ちました。
しかし──それがあまりに浸透した結果、
本来“使うためのツール”だったはずの時間が、
いつの間にか“支配者”のように君臨してしまった。
◎ ツールが主になり、人が従う世界
- 「今◯時だから急がなきゃ」
- 「この年齢までに◯◯しなければ」
- 「もう遅い、手遅れかもしれない」
このように、時間がわたしたちの選択や感情を左右するようになっている現代。
でも忘れてはいけません。
時間は“使う”ものです。
使われるものでは、ありません。
◎ 呼吸とともに、“時間”を自分の手に取り戻す
「呼吸する」という行為に、時計は必要ありません。
吸って、吐いて、また吸う──
そこにはただ、今という永遠が流れているだけです。
時間の概念は、なくても呼吸はできる。
けれど呼吸を通じて“今”に戻れば、
時間はまた、本来の「使えるツール」として機能しはじめます。
時間は、「今この瞬間を丁寧に生きるための区切り」です。
区切りは、自分の意識を戻すためのリズムになるのです。
この視点を持って次の記事を読むと、
「時間を感じる」ということの意味がガラリと変わってくるかもしれません。
「時間は、使うべき道具であって、従うべき主人ではない」