
「ありたい自分」と「がんばってる自分」は違う─無理をしない在り方の選び方
“いい人”として頑張ってきた人ほど、
「自分を生きたい」と願いながらも、
無意識のうちに“誰かの期待”に応える自分を選んでいます。
でも、それはありたい在り方ではなく、
“評価されるための在り方”かもしれません。
今回は、望む人生を遠ざけてしまう「がんばる自分」と、
そこから静かに抜け出す方法についてひもといていきます。
がんばることは、悪くない。でも……
「がんばっているのに、しんどい」
「頑張ってるのに、うまくいかない」──
そんな声が、あなたの中にもありませんか?
がんばることは決して悪くありません。
でも、それが“自分らしく生きること”とイコールではないのです。
とくに、“誰かに認められること”を基準にしたがんばりは、
気づかぬうちに、「ほんとうの在り方」から離れていく罠になりがちです。
「がんばる私」が、望む未来を遠ざける?
「評価される私」「頼られる私」「完璧な私」。
そんな理想像をがんばって演じているうちは、
自分の中にある“ありたい私”が、静かに見失われていきます。
呼吸でたとえるなら、がんばる私の呼吸は浅くて速い。
外に合わせる呼吸は、いつしか自分のリズムを奪ってしまうのです。
いっぽう、“ありたい私”は、深くて静かな呼吸をしています。
そこには無理も演技もなく、ただ「心地よい一致」があるだけ。
在り方の選び方とは、どの呼吸を生きるかでもあるのです。
まとめ:「がんばる自分」から「ありたい自分」へ
あなたの望む人生は、
“がんばったご褒美”として与えられるものではありません。
それは、「ありたい私」と一致したときに、
自然と流れ出すように訪れるものです。
頑張ることに慣れすぎた人こそ、
少しずつ“ゆるむ勇気”を持ってみてください。
本当の在り方は、いつだってあなたの中にあります。
ただ、静かに呼吸を整えることから始まります。
コラム:在り方は「外向きの演技」ではなく「内なる温度」
“在り方を整える”と聞くと、
どこかで「正しい自分にならなくちゃ」と思ってしまう人がいます。
でも、在り方は外に見せるものではありません。
それは、「私が、私としてここにいる」という
内なる温度、存在感、そして呼吸のことです。
誰かの理想に合わせることではなく、
“今ここにいる私”がどんな呼吸をしているのか。
そこに丁寧に気づいていくことで、
すこしずつ、本当の在り方が浮かび上がってきます。
整えるのではなく、戻ってくる。
そう思えたとき、あなたの人生が静かに動き出します。
承認欲求は、在り方の敵じゃない
「在りたい自分で生きたい」と思う一方で、
「がんばっている私を、誰かに認めてもらいたい」
そんな気持ちが心に残ることもあるかもしれません。
いわゆる“承認欲求”です。
それは一見、在り方と矛盾しているようにも見えます。
でも、少し見方を変えると、
承認欲求は自分の存在を確かめたいという、根源的なサインだと言えるのです。
たとえば「がんばってる自分を認めてほしい」と思うとき、
本当に求めているのは、「がんばり」への評価ではなく、
がんばるしかなかった“私の存在”そのものへの理解や共感かもしれません。
本当は、ただ「ここにいていい」と思いたかった。
そんな素直な願いが、承認欲求の奥にはあるのです。
だからこそ、外からの評価で満たそうとすればするほど、
なんとなく空しさが残るのかもしれません。
矛盾を感じたときは、まず呼吸に戻ってみてください。
深く、静かな呼吸を取り戻したとき、
「誰にどう見られるか」よりも、
「私は、どう在りたいか」という問いが、
自分の内側から自然に湧いてくるはずです。
承認欲求を否定する必要はありません。
それを道しるべにして、もっと深く、自分に還っていく──
そのプロセスの中にこそ、望む在り方が育っていきます
LEAVE A REPLY