愛されていた記憶が、感謝密度を一気に高める理由
■ 「愛されていた」なんて、自信がない人へ
あなたは、こう思ったことがありませんか?
「わたし、本当に誰かに愛されてきたのだろうか」
「愛されていたという記憶が、うまく思い出せない」
安心してください。
その気持ちはとても自然です。
そして、感謝密度の旅は、まさにそこから始まるのです。
■ 愛されていた記憶は、“意識”で思い出すものではない
私たちが「愛されていた」という記憶に触れるとき、
それは多くの場合、出来事としてではなく、“感覚”として蘇ってきます。
- 抱っこされていたあたたかさ
- 呼ばれたときの声のやさしさ
- 沈黙の中でそばにいてくれた安心感
それは、理屈ではない、身体の奥に残っている“響き”のようなもの。
感謝密度が高まってくると、ふとした瞬間にそれが甦るのです。
■ 感謝密度と“愛の記憶”の密接な関係
「愛されていた」と感じると、人の呼吸は自然と深くなります。
身体がゆるみ、涙がこみ上げ、
「ありがとう」という言葉が、思わず出てくる。
これは、感謝密度が一気に高まった証です。
そして一度その密度を体験すると、
もう元には戻れないほど、自分の存在そのものが変わってしまう。
■ なぜ、それが密度を“瞬間的に”引き上げるのか?
それは、「愛されていた記憶」が
“自分には価値がある”という確信を、最も深いレベルで与えてくれるからです。
- 自分はここにいていい
- 生きていていい
- 誰かの心に残っている
この確信が細胞のすみずみに染み渡ったとき、
エネルギーの質が変わり、密度が一気に高まりはじめます。
■ 日本という風土が持つ“記憶の装置”としての力
この「愛されていた記憶」は、個人だけのものではありません。
日本という国土そのものにも、
「支え合う」「分かち合う」「誰かのために動く」という集団的記憶があります。
だからこそ、日本に生きる私たちは、
この記憶にアクセスしやすい特性を持っているとも言えるのです。
■ 思い出せなくても、大丈夫
「私は愛されていたなんて、思えない」
そう感じる人も多いでしょう。
でも、実はそういう人ほど、深いところで愛を知っている場合があります。
ただ、その記憶はあまりに繊細で、
痛みや傷の奥にしまわれてしまっているだけ。
焦らなくて大丈夫。
深い呼吸と「今ここ」の静けさが、その記憶をやさしく呼び戻してくれます。
■ 結び:感謝密度は、“思い出す力”でもある
このシリーズを通じて伝えたいのは、
感謝密度とは「何かを新しく得る」ことではなく、
「すでにあった大切な何かを、思い出していく旅」だということです。
その核心にあるのが、「愛されていた」という記憶。
あなたは、本当はずっと、愛されてきました。
それを、これからゆっくり取り戻していきましょう。
次回はいよいよ第6回、
「感謝密度が社会や世界に与える本当の影響」についてお話ししていきます。