どうして問題が生まれるのか
意識の変化を体験的に知るようになると、そこに現れてくる問題というのは、意識にふさわしい問題であるということがわかると思います。
たとえば、競争社会と言われる社会で生きていると信じている人は、競争すること、人より秀でること、抜きん出ること、優越感を持つことなどに意識の焦点が当てられています。
どれだけ優れているか、ということが生きている証になると感じているんでしょう。
そういう意識がもたらす、あるいは引き寄せる現実や事柄というのは、より競争心をもった人々で集まるようになり、息つくひまもなく競争を駆り立てるようになります。
今の日本社会はある意味、制度的に競争の渦に巻き込まれるシステムができあがっています。
生まれてくるとすぐに、親の競争心の巻き添えになります。成人するまでにはもう立派な競争マシンになっていますね。
しかし、人間の本質的な欲求が、「なにか違う」ということを常に呼び覚まそうとしているのです。
つまり、本当の自分でありのままに生きることへの憧れが、なにかで装った今の自分をきりはなしたいと感じている。
おそらく今の時代、この根源的な問題解決が求められているのだろうと思います。
意識を変えれば、問題が問題でなくなる
問題意識という言葉があります。
「問題意識(もんだいいしき)とは、社会において存在している問題に対して、人々がそれの性質を見抜くなどといった形で、その問題に対して主体的に関わり合おうとする意識の持ちようのことを言う。」(ウィキペディアから引用)
ということらしいですが、問題を問題として抱えているうちは、問題が解決することはありません。
つまり問題意識は、問題を生み出すには好都合ですが、解決するためには問題意識から遠ざからなければならないのです。
今の社会が発展してきたのは、この問題意識に負うところが大きいと思います。
ただ、この発展が私たちに本当に恵みを与えているのかというと、それはかなり疑問ですね。
なぜなら、次から次へと問題しか生まれない、しかも深刻な問題へと発展している。
だとしたら、もう意識の転換をするしかない。
問題を生み出すような意識ではなくて、自分と調和する意識にならないと、問題の渦からは抜けられません。