幸せになるのはいつ?
「いまでしょ!」なんて言葉も、あまり使われなくなった昨今、まさにいま幸せでないとしたら、いつ幸せになれるでしょう。
そうは言っても、仕事のストレス、家事のストレス、人間関係のストレス・・
ストレスばかりが感じられて、幸せになる暇などありゃしない。
でも、幸せの先送りが習慣になっていると、気がついた時にはもう手遅れ・・ってことになりやしませんか?
じゃあ、どうすれば幸せになれるんですか?
というのが本音でしょう。
これ、話し始めると本当に長くなります。
話している私はいいんですけど、読むあなたが覚悟決めてくれれば、いくらでも話します。
ありがとうございます。覚悟してくれましたね・・ではまいりましょう。
幸せになる条件
もし神さまが、幸せになるためには
「お金を貯めなさい」
「健康になりなさい」
「友達を増やしなさい」
「自己実現しなさい」
「笑いなさい」
「愛を持って生きなさい」
「・・・」
などなど、条件付きで幸せを保証してくれるなら、おそらく誰もがもう幸せな世界で生きているはずです。
しかし、時間が進めば進むほど、なぜか苦しい体験ばかりしている。
そしてなぜか、幸せだと感じられない。
あなたが今の自分を幸せだと言えない状態で生きているとしたら、もしかしたら、条件付きの幸福を信仰しているのかもしれません。
つまり、そういう条件が満たされてはじめて幸せだと言える。
たとえば、笑うこと。笑うことができないから、幸せじゃない。
健康じゃないから幸せじゃない。お金がないから幸せじゃない・・・
よく考えてもらいたいことは、
自分の幸せの定義を誰か他人の定義からもらったもので満たそうとしていないか、ってことです。
あなたの幸せは、あなたにしか創造できないものです。
他人が持ってきてくれるものでもないし、環境が作ってくれるものでもない。
幸福になる意思がまずはじめにあって、迷いから離れられます。
そして、幸せを感じるためにどうするべきかを考え始めるでしょう。
健康でないといけないのか
健康というのは、誰がどう定義しているのか知りませんが、数値で測ろうとする風潮があります。
では、その数値に満たない人は不健康、病気でしょうか?
違いますよねえ。
自分が健康であるかどうかは、自分の体が常に教えてくれていますよ。
呼吸の知恵が体のリズムを脳に翻訳してくれるんです。
どう翻訳しているかというと、爽快感、嬉しい気持ち、ワクワクするなど、気分をよくしてくれます。
これは、たとえいま何かの病気にかかっているとしても、関係なく感じられますからね。
むかし、転倒して肋骨にビビが入ったことがありました。
呼吸も寝起きすることさえも満足にできず、七転八倒したことを懐かしく思い出しますが、その時でさえ呼吸リズムの調律で、ずいぶんと楽になることを体験しました。
体ってうまくできているなと感心したとともに、苦しい中でも楽を味わえることに、強烈な感謝の実感がありました。
ケガをしているときの私は、不幸だったでしょうか?
まったく違います。ふつうに幸福感を実感して生きていられたわけです。
どちらかと言うと、苦しい中にある方が幸福は感じやすいかもしれません。
なぜなら、ハッキリとしたコントラストで、幸福の在り方が浮き彫りになってくれるからですね。
なので、今どんな状態であっても、幸せは感じることができるはずです。
体験はあなた独自の財産
あなたの体験は、あなた独自のユニークさを持っています。
その体験を通して、あなたは自分の在り方を選択しているからです。
選択?なにも選んではいませんが・・という方もいると思いますが、選ばないということも実は立派な(そして強烈な)選択です。
皮肉ではない、ということを理解してください。
何も選ばない選択をすることで、自分の意図しない、そして望んでいない世界が展開されます。
すると、やがて苦しさが増幅されることになり、意図的な選択をするという新しい局面へと導かれてゆきます。
このときあなたの体験は、後戻りすることを押しとどめる役目を果たします。
もう同じ体験はしなくていい、その適切なタイミングで判断し、選択することで、新しい体験をするようになるのです。
人生の途上、いろいろな体験をしているのは、ほんとうに意味があり、無意味な体験など、これまでほんの一瞬もしていないということを信じられますか?
私はこれに気がついた時、とてもすくわれた思いになり、人生自体に感謝する気持ちになりました。
それはいまもまったく変わらず、できるだけ意図的な選択をしようと心がけています。
またそれが、自分を幸せにしていることも知っていますので。