こんにちは~、ソウダです。

以前の記事に「不食の人」というのを書きましたが、
おそらく今後、食べなくても生きてゆける人々が
続出してくるようになると思います。

はあ???

みたいな感じでしょうか(笑)!?

それはともかく、

食べることが人生の楽しみだ
という人は相当いらっしゃるでしょう。

何かを食べるという行為には、匂いが食欲を刺激し、
舌で感じる味や食感が満足感を与えます。

さらに満腹になるまで食べたくなるような
旺盛な食欲につながります。

私が欲求について踏み込んで考えるようになったのは、
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」という映画を見た時ですね。

あの映画の中で、
千の両親が貪欲の権化と化したようなシーンがありました。
人間の持つ尽きない欲求を象徴しているようでした。

もしかしたら、私自身もあの姿が真実かもしれない、
そう考えた時、欲が自分を見失わせる危険性を
含んでいることに気づいたわけです。

現実、欲が発端となって、
成長してゆく人もいれば、堕落してゆく人もいます。

この両者を分ける原因はなんだろう?と考えると、
欲を動力として扱うのと、
欲に引きずられてしまうのと、この差なんでしょうね。

日本語の響きって不思議なもので、
たとえば意欲という言葉は好意的に捉えられますが、
貪欲という言葉は、すこし引いてしまう。
欲という漢字の前につける一語の違いで、印象がガラッと変わります。

「欲」という言葉一つをとっても、語源として

心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。
空虚な不満があり、それをうめたい気持ちのこと。(学研・漢和大辞典)」

とあります。なるほど。

だとしたら、その穴を埋めるための一連のプロセスが、
満足することの正体なんでしょう。


たしかに、欲求からその実現に至るまでには、時間の長短があります。
場合によってはそれが実らず、挫折することもシバシバあるようです。

では、求めたことが現実になる、俗っぽく言えば欲が満たされるためには、
どうすればいいのでしょうか。

これには、3つの考え方があるように思います。

今の例で言えば、

「穴を埋める」ことが一つの欲を完結させることになりますので、
穴を作らないことによって、満足できるというのがひとつ。

これは見方によっては消極的かもしれませんし、
挫折の言い訳のようにも聞こえます。

ですが、
あまりに強い欲求が苦しみの原因になって、
生きることへの障害になるなら問題です。
応急的に穴を塞いで、自分を見つめなおすことも必要です。

ですので2つ目は、
その穴に合うピース(パズルのように)を探して埋めること。

これなんかは、一時はやった「自分探しの旅」なんて言葉がありましたが、
それに近いものかもしれません。

たしかに、自分がこの世に生まれてきたのは何のためなのか、
何をするために生きているのか、
この疑問はそう簡単に解決することではないかもしれません。
ほんとの意味で、大きな穴、空虚なのかもしれませんね。

ただ、ピタッとくるものがなかなか無いために、
けっこうな時間がかかることもあるし、分からないこともありえます。

そこで3つ目は、
その穴に合うピースを自分で加工して作り上げること。

この場合は、自分の長期的な理想を見すえて、
時間をかけて、穴を埋めてゆく作業になると思います。

そして、いまやってること、いま生きてることに意味付けしてゆきます。

ただし、おそらく死ぬまで、この空虚な穴が埋まりきる、
ってことはないように思います。
生きてる限り、生きようとしている限り。

人が人として生きているのは、
生きることへの無意識の欲求の現れですから、
欲求を否定することは、
根本的に生命の否定でしかないですね。

結局、人生は欲求とどう付き合うか、
そのスタンスによって、人格や性格の表れ方が
大きく違ってきます。

なにもかも欲しがる人には、強欲の影がつきまとっていて、
雰囲気的に異様ですので近寄りがたいものがあります。
なんか持ってかれそうです(笑)。

欲を断つのが目的である僧侶などの求道者も、
欲を断ちたい欲求が強すぎると、
強欲な人の意識と変わらなくなります。

どんな人にも欲求はあります、なければ人じゃないです(笑)。
まず欲求は認めてあげて、
自分サイズの表現方法にしてしまえば、
気分も楽しくなるのではないでしょうか。

欲との向き合い方、つきあい方は、人それぞれです。
こういう考え方もあるんだな、
と参考にしていただければ幸いです。

ではでは 

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