何かの問題に直面して、
その問題を解決しようとするとき、

言い換えれば、
それに解答しようとするとき、

学校のテスト問題を
解くようには進みませんね。

さて、
これはどういうことかな?
なんて思います。

たとえば、人間関係。

職場でよい人間関係が構築できない、
そういう人も多いと思います。

そして、それが原因で、
職を離れるケースは後を絶ちません。

というより、
これが一番多い退職理由ですかね。

これを解決するために、
学校のテスト回答をするような考え方でいると、
たいていはつまずきます。

なぜなら、
人間関係に決まった答えはないからです。

これに意義付けするのは、
自分以外にはありませんから。

逆に言えば、
その意義付けができれば、
自然と解決する問題でもあります。

あなたにとって人間関係とは何か。

これに明確に答えることができれば、
その基準に基づいた人間関係が
築かれてゆきます。

しかし、現実には、

人の顔色をうかがってみたり、
人の機嫌を損ねないか心配してみたり、

相手と比較ばかりしてみたり、
自分の劣ることに意識が強くなったり、

と、どうしたいのか
よくわからない状態を経験しています。

もし、自分の望む人間関係を
築きたいのなら、

そうあり続けることが肝心ですね。

友好的な関係でいたいなら、
人は関係ありませんね。

自分がいつも友好的な人間でいつづける。

たとえ、
それに同意しない人がいるとしても、

自分は友好的な人間だ、
と、決意しつづけなければ、

理想は崩れて、
また意義付けの機会を失ってゆきます。

そして、人間関係の泥沼にはまります。

僕たちは、
義務教育を受けた期間に、

無意識に、答えは一つで、
それを見つけようとする習性が
付いています。

しかし、現実には、
それについて考えていること
を体験しています。

人間関係は難しい、苦しい、面倒だ
などと考えているなら、

たいていそんな体験をしてますね。

そういう意味で言えば、
自分が下した意味や意義が
現実になる、

という一つの答え
になるのかもしれません。

体験する結果については
無限のバリエーションが
存在しているのです。

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