僕にとっての女性の最初の記憶は、
やはり母の優しい懐、という認識です。

どのような母親でも、
わが子への愛おしさ、愛情が根源的にあって、

それが生涯続きます、・・たいていにひひ

しかし、今年の夏でしたか、
置き去りにされた幼な子2人が、
遺体で見つかるという事件がありました。

あの事件によって、
世の多くの女性たちは、
母性とは何かを深く突きつけられ、

あらためて子どもを育てることの意味を
考えさせられたのだと思います。

子どもが子どもを育てる危うさ、
母としての自覚、

そして、無償の愛の貴さ、あるいは厳しさをも
感じられたのではないでしょうか。

あの事件後、
僕たちはコミュニティやつながりの大切さを
あらためて知ることになりましたが、

これは現代が抱えている病の一つでもあり、
「個」の時代と言われる思想に、
警鐘が鳴らされた感があります。

個から集合、全体で一つ、という方向へ、
はからずも向き始めたように感じています。

深い悲しみを経ないと、
それに気づけないという僕たち大人に、

命を賭して、
あの子たちは気づきを与えてくれた、
そういう気がしてなりません。

そういう意味も込めて、
女性のみなさんが立ち上がる時代にあたり、
僕たち男性ができることを考えると、

やはり手を携え、自信を持ってもらう、
それくらいのことはできると思うんです。

男性のみなさんも、
もう女性に対しての偏見は消してゆきましょうね。

不寛容な社会の原因は、
男性たちが作ってきたんですね、現実に。

さかのぼれば、平安末期からが
顕著だったのかもしれません。

何年か前、某大臣が女性のことを
子どもを「産む機械」だなんて発言しました。

一見、たいへん侮辱的なことを言ったんですが、
あの方をリーディングしてみると、
女性に対しては、とてもお優しい方です。

しかし、こぞってメディアが叩きましたね。
というより、焚きつけたわけです。

それにつられて、
女性たちが憤慨するという状況に立ち至りました。
これは、女性が不寛容化しているんですね。

でも先人たちが作り出した幻想社会は
音を立てて崩れ落ちてゆくでしょう。

そのカギは、寛容さです。
許しは、寛容の精神の結晶とも言えるでしょう。

おおもとに寛容さが無ければ、
許すことはまずできません。

寛容さの土台、それこそが愛です。

もし愛を感じたければ、
寛容であることがそれを可能にしてくれます。

それと、この記事も僕の印象に残った記事です。

月と女性

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