人生の途上、

「何のために生きているのか?」

という疑問に突きあたる経験を
誰もがしたかもしれません。

自分は生きている価値があるのか、
何をやるために生まれているのか、
そもそもそんな大それた使命なんてあるのか、

若い頃、そういう思考に
苦しまれた方も多いのではないでしょうか。

あ、もしかしたら
今でもそう思っているかもしれませんが。

このブログの性質上、
この「思考」がどう自分に影響しているのか、
少し分析的に見てみると、

「何のために生きているのか?」

という一つの思考を持っているとします。
ただ、そんな状態の人が存在しています。

その結果、
どういう思考に発展するのかと言えば、
たいてい「分からない」という方向に進んで行き、

解けない疑問に苦しみを感じている人が
さらに、そこに存在し続けています。

日光の中禅寺湖には華厳の滝があります。

そこには、人生不可解という言葉を残して、
滝に身を投げた人のことが書いてあります。

死んでしまうまで、苦しむ思考。
無意識に苦しみを選択していると気づかずに。

実のところ、
僕もかなりこの手の思考に振りまわされて、
苦しさを体験し、

もうできることなら、
こんな苦しさとは決別したい、

つまり死んでしまいたい、って
誘惑に駆られたこともあります。

いま考えれば、
単純な思考プロセスの逆転を起こしただけで、
そんな悩みから一転してしまったワケです。

そして、いまの自分に、

「何のために生きているのか?」

という疑問に対して、
僕自身に答えるとしたら、

「何のために生きるかを決めるために」

と、単純明快に答えられますね。

人生を意味づけるのは、
神様でもなければ、人様でもなければ、

他ならない自分自身です。

意味づけることによって、
それがその人の人生の意味になります。

不可解

という意味づけをしてしまったら、
たしかに不可解な人生を
歩まざるを得ないでしょう。

分からない、
苦しい、
どうしようもない、

そういう「思考」が
人生を意味づけしていて、

現実を体験させているエネルギーです。

宇宙は公平に、手加減もなく、
その人の思考を現実化する
手助けをしてくれているようです。

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