僕たち人間は、
こういう自分でありたいとか、
あんな人になれれば、

といったさまざまな理想に
突き動かされて、

生活の中でさまざまな選択を
繰り返しています。

そして、

こだわりだったものから
強い執着へと変わることもあります。

人生の皮肉は、
そういう執着めいた心から
解放されたとたんに、

その道がふんだんに開かれてゆく、
という意外性です。

これは多くの人が、知らず知らずに
経験していることではないでしょうか。

僕などは、そういう経験をしてみて、
何でこうなるんじゃ!?ショック!

と、苦笑いしたことがよくあります。

たとえば、

若い頃、好きになった女性がいて、
その方に好かれたいと思い、

かっこつけてみたり、
飾ってみたり、

できるだけいいところを見せたい、
そういう自分を見られたい、

と自分を演じ続けていました。

でも、その恋は実らず、
失望へと変わります。

やがてもう
自分を取りつくろう必要がなくなると、

僕の自然な姿が回復し、
その姿に対して好意を持たれる
ようなことがありました。

まったくもって
皮肉としか言いようがないですえっ

人との付き合いというのは、
やはり自然体でないと、
つきあいきれないですね。

長いつきあいを望むならば、
なおさら自分の自然な姿をさらけ出さないと、
その可能性は薄くなります。

そういうことを
経験的に知るようになります。

たとえば、腐れ縁(くされえん)
なんて言葉がありますね。

これって、
いい意味か、わるい意味か分かりませんが、
相手のことをお互いよく知ってるワケです。

だから知らずと、
長い関係が保てていますよね。

嫌な自分を見ているようで、
たぶん、縁を切りたいんでしょうけど、
不思議な縁が続いているわけですにひひ

自分を装飾したり、
無理に演じたりしていると、

いつかは本心との軋轢が生じて、
苦痛を体験するときが来ます。

そうなる前に、
もう自分を生きたほうが楽だと思います。

「こんな人だとは思わなかった」

そう思われるのが怖い、
という人も中には、いるかもしれません。

ただ、どちらが自分の生き方や人生に
幸せをもたらすのか考えれば、

おのずと選択に躊躇がなくなるでしょう。

そして、自分の自然な生き方から、
新たな出会いを求めたほうが、

実り多い人生になるはずです。

そして、実際には、

たくさんの人から見直されて
これまでより深くよい関係になる、

そんな皮肉なケースのほうが
意外と多いようです。

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