こんにちは~、ソウダです。

このブログも再開して、3週間が過ぎました。

だいぶん筋力もついてきて、
更新するのも負荷がかからなくなってきました。

まあ、記事にする材料はたくさんあっても、
構成して読み物にするには、
脳に汗をかかせてないと、
なかなか納得のいくものには仕上がらんですね。

さて、

人生には問題がつきもの、などと言いますが、
たしかにいろんな問題があるから、
生きてる実感も得られるんだと思います。

そう考えると、
悩みも私たち人間の養分だと考えられなくもないです。

ただ、悩みの渦中にあると、
さすがにそうは達観できません。

苦しみからいつかは抜け出ていかないと、
辛いことだらけになってしまいます。

ひとつ私が試した方法があります。
これは効果があったので、紹介してみます。

かつて、
自分と同じく悩んでる人っていうのは、
これまた数限りなくいるのですが、
そういう人を見て、妙に安心してしまうことがありました。

あの人もこの人も、苦しんでるんだ、みんな仲間だ!
みたいな仲間意識があったのです。

これって、自分の逃げ場を作るのにはいいのかもしれませんが、
解決するためには、逆効果です。
ズルズルと時間だけが過ぎて、かえって問題を広げてしまいます。

ちょっと待てよ、と。

そう思って、悩んでいる自分自体を
もうひとりの自分になって眺める、
そういう試みを行なってみたんです。

たとえば、誰か他の人の問題の解決方法って、
けっこう簡単に見つけたりできます。

「こうすりゃいいんじゃないの?」

って、案外簡単に浮かんできたりしますよね。
これを自分に当てはめたら、どうなるんだろう?
そう考えてみたわけです。

すると、一番簡単な問題解決の方法というのは、
やはり身近な人に自分をぶっちゃけてみる。
これは本当に威力がありました

自分が気づいてないことを、
その人たちはいとも簡単に指摘してくれるわけです。

一人で悩んでしまうケースというのは、
意外と知識がある人に多いんですね、これ。
たくさんの知識がプライドを形成していますから、
自他を強く区別してしまう傾向があります。

悩みの本質って、
実は自他を意識しすぎている、ってことに気づくと、
すんなりと他者に対して寛容になれます。

他の人に対して寛容になれない性質って、
実は無意識に、自分をどこかで罰したり、
裁いたりすることにつながります。

たとえば、テレビなどのニュースで連日、
目を覆いたくなる事件などが報道されてます。

こういうのをいつも見ていると、
まるで全ての人が悪人であるかのような
錯覚さえ起きるわけです。
常に注意や警戒、疑惑の目で人を見るようになります。

すると、自動的に自己処罰的な意識が作られていき、
なぜか分からないままに、問題が発生して
悩みにハマり込んでゆくという流れです。

ですので、

私の場合、報道のあり方が不自然と感じる場合は、
「自分で確かめたわけじゃない」
という意識は常に持つようにしています。

でないと、意図していない心理の罠に
自分をあずけてしまうことになりますので。

よ~~く考えてみれば、
苦しみの原因は自分で作っているのが大半です。

まっぴらごめんではありますが、
自分で手直ししてゆけるのも経験的に事実です。

自分に寛容でありたいなら、他に対して寛容になればいい。
なれないなら、どうしてなれないのか分析するしかないです。
(一足飛びに、そうなってしまうこともできますが・・)

いろんな原因があると思いますので、
ひとつひとつ修正することを楽しんでみてください。

私の悩みは、こんなことでした

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